当山の歴史・由来
法花山金毘羅院は、弘法大師の御教えを根底とする真言宗金毘羅尊流の総本山でございます。岡山県北部の新見市東部に位置する大佐盆地は、古く奈良時代より山陰山陽への修験者・山伏たちの行者道でもありました。今から約600年前の永享元年(1429)、林宗上人により備中矢田祥光寺(現在の新見市哲西町矢田)に讃岐から勧請された金毘羅大権現を、昭和5年(1930)に開山大僧正透昭大和尚が幼少の砌に守護神御本尊として迎えられたことが当山の始まりです。平成6年(1994)には文部省により包括宗教法人として総本山に認可を受けた、現在では珍しい神仏習合の寺院であり、中国地方を中心に大阪・東京にも別院・分院・講社・布教所を設け、大勢の方々と共に信仰の年輪を重ねております。
金毘羅大権現は、法身大日如来の化身としてインドを起源として信仰が広まり、金毘羅天または金毘羅神、薬師如来を守護する十二神将の首部である宮毘羅大将とも称され、仏道守護ならびに衆生済度を司る鬼神であらせられます。延暦24年(805)に天台宗の祖伝教大師最澄上人が入唐求法の末帰朝される折、金毘羅大権現を召して帰られました。また我が国においては、国造りの神であります大物主大神と同体とされ、古代より信仰されてきました。
御本尊金毘羅大権現をお祀りする本堂は法燈70周年を迎えるにあたり、平成5年(1993)に1階は供養堂・2階を本堂とし、北隣の釘1本使用せず建てられた文化財要素を含む護摩堂と共に建立されました。本堂から北西30メートルの所には行者変大菩薩行者と修験者北仙僧を祀る奥之院があり諸願成就の御利益、また東山頂には比叡山北谷観音堂院から慶安3年(1650)に大和橿原に遷座された「おふさ観音」から歓請された積之観音堂があり、病魔退散・腹中諸病の御利益があります。
境内には、鐘楼堂や御影堂のほか、人生の尊さを物語る子育て地蔵尊、凶方位から守ってくださる方除観音、自らの代わりに遍路される修行大師、極楽浄土の道しるべとなるぽっくり極楽地蔵尊、日の目を見ることなく流されていった水子たちを導く水子地蔵尊、四国八十八か所のお遍路ができない方のため第1番から第88番札所までのお砂を納めた砂納め地蔵尊が周囲にお祀りされております。
境内地2万坪のなか七堂伽藍により成り立つ当山には、現在も参拝の方々がその御利益に浴するため日々お参りをされています。